農村で港区ナンバーのスーパーカブを見かけたら、それは「農文協」かもしれません。
農文協(一般社団法人農山漁村文化協会)は、1940年創立以降、「農家に学び、地域とともに」生きることを根幹にすえ、活動する団体です。
農業・健康・教育などの分野の雑誌・書籍・DVDの出版、講習会の開催などを通じ、地方の農業の活性化に寄与してきました。
現在、埼玉県戸田市に本部と、全国に7支部(北海道・東北・関東甲信越・東海北陸近畿(名古屋・大阪)・中国四国・九州沖縄)があります。
各支部の職員が、全国を走り回り、「普及活動」を行っています。
農文協は雑誌や書籍、映像作品、電子出版等を「文化財」と呼んでいます。その「文化財」を農家だけでなく地域コミュニティを支える人たちに直接会い、普及(営業)する活動を支部職員が担っています。支部職員はバイクで農家一軒一軒を訪問し、「文化財」を直接普及しながら農家の悩みや欲求をつかみ、他の農家に伝えるとともに、新たな「文化財」に反映させる活動を行なっています。
農文協公式WEBサイトより
1つの市町村に数週間、滞在しながら、カブに乗って普及活動を行う…。いったい、そこにはどんな物語があるのでしょう。
カブで農村を駆ける若手職員のひとり、農文協中国四国支部の津田美優さんに、話を聞くことができました。
Contents
新入社員研修でカブのトレーニング
津田美優さんは、2022年4月、新卒で農文協に入社し、1年目は東北支部、2年目は中国四国支部に配属されました。
神奈川県の相模原市出身で、四年制大学の農学部を卒業しています。
大学時代は、農文協が以前出版していた雑誌『のらのら』や食農教育などを分析対象にして、食農教育(この言葉の生みの親も農文協なのだとか)の変遷を分析する卒論を書きました。
関心がある分野の出版物が多く、そういった本づくりに関わりたい、人の話を聞くことが好きで取材等を通じて様々な人生に触れられそうということで、入社を希望したそうです。
もうひとつ、決め手になったのが、旅が好きだということ。
大学生活後半をコロナ禍で過ごし、思うように旅ができなかった津田さん。
カブで全国を走る普及活動の話を聞いて「全国あちこち、仕事で行けるのは楽しそう!」と思ったそうです。
津田さんは農文協に入るまでも、原付ユーザーでした。
大学時代はホンダのスクーター「ジョルノ」を愛用。自宅の神奈川県相模原市から大学まで、片道約40分の山道を走っていました。
ツーリングで、山梨県の都留市まで足を伸ばすこともあったそうです。
とはいえ、スクーターと、ギアチェンジがあるカブでは、操作感が違います。
また、カブに乗ったことがない新入社員も多いでしょう。
各地での普及活動にあたり、農文協の新入社員研修では、カブでの走行練習が欠かせません。
独自のトレーニングスケジュールやテストがあるようです。
津田さんの同期は12人。まだ路肩に雪が残る長野県小谷村に集まり、カブでの運転に慣れていきました。
こけたり、再テストを受けたりした同期もいたようですが、無事に全国の支部へ配属。
相棒は50ccのスーパーカブ。ナンバープレートは、かつて本社があった東京都の港区ナンバーです。
津田さんはこれまで、普及業務とそのほかのプロジェクトを含め、青森、岩手、長野、新潟、愛媛、高知、島根、兵庫(淡路島)、熊本をカブで走りました。
担当地域を移り変わりながらカブで走る日々
普及活動とは具体的にどんなふうに活動するのでしょう。
現在、津田さんは中国四国支部に在籍しています。
中国四国支部の事務所自体は、岡山県岡山市街地にあり、その通勤圏内に自宅はありますが、そこから「普及」業務を行う市町村(最近は、愛媛県や高知県)まで、毎日通うわけにはいきません。
なので、平日はその土地の民宿などに連泊します。
例えば、最近までは、青いレモンの島として有名な愛媛県上島町の岩城島を担当していました。
一日の普及活動の流れを聞くと、
「民宿からカブで、担当するエリアに向かいます。岩城島を担当していたときは、大三島の民宿から、生口島へ多々羅大橋で渡って、フェリーで岩城島へ行っていました。
農家さんを訪問し、雑誌の定期購読をおすすめするほか、全国の農家さんたちが参考になるような農業の方法を実践している人はいないかを聞いてまわります。その土地の文化なども教えてもらえます。
聞けた話は毎日本部へ共有していて、のちのち改めて取材があり、出版物に掲載になることもあります。
ときどき、私自身が記事を書くこともあります」
農家さんの一次情報を現場で聞ける仕組みがあることが、出版社として大きな強みになっていると津田さんは話します。
「あなたのことは11人目の孫と思ってる」
毎日のようにカブで各地の農村を走り回る!
ライダーにとっては夢のような仕事に思えますが、見知らぬ土地で、方言もわからないまま、出会う人たちに定期購読をおすすめする仕事は、言ってみれば、飛び込み営業。
大変なこともあったのではないでしょうか。
「青森県南部町、方言もまだわからなくて不安な中、とあるおばあちゃんと仲良くなりました。おやつの時間に会いに行くとお茶を出してくれて。癒しをもらっていました。
ちょうど、田植えの忙しい時期で、普及活動がうまくできなくて落ち込んでいて、そうだ、思い切っておばあちゃんにお願いしようと、ドキドキしながら訪ねたら『おかえり』と、すごく優しい声で迎えてくれて。思わず泣きながら、本の定期購読をお願いしていました。
『今、手元にお金ないから』と、でもその場で小銭をかき集め、バラで2冊、雑誌を購入してくれました。ほかにも、農家さんを教えてくださったりして。本当にお世話になりました。
そのエリアを離れるときにご挨拶に伺うと、豪華なお弁当を作って待っていてくれました。
10人、孫がいらっしゃるのですが『あなたのことは11人目の孫と思ってる』と言ってくださって。まだ走り出しの頃の、大切な思い出です」
ほかにも、普及活動中に話を聞いた梅シロップを作って送ってくれた方、田んぼの畔草の工夫を20~30分、カブで一緒に走って説明に回ってくれた農家さんも。
あちこちの農村の、人情味にあふれる話を聞くことができました。
カブはまさに相棒
普及活動の中で、カブはどんな存在なのでしょう。
「カブはまさに相棒。農家さんでも乗っている方が多いので、親しみを持ってもらいやすいと思います。
燃費もいいし、操作性も抜群。
こちらは愛媛県内子町にある泉谷の棚田です。車では通れないような細い道でもガツガツ走れるのが、カブのいいところだなと思います」
と、太鼓判。
みかんで有名な愛媛県。柑橘類の畑は急斜面にあることが多いので、カブを愛用する農家さんも多いようです。
地域によって、風景も様々。自然が豊かな場所では、動物との出会いもあります。
長い時間をともにするカブに魅了されたのは津田さんだけではありません。
「普及活動を卒業しても、『プライベートでカブを買おうかな』と話す人もいるくらい。けっこうみんな、カブが好きになっていきます」とのこと。
実は津田さんも、この4月から、編集部へ異動となり、普及活動に一区切りをつけることになっています。
今後はカブとのたくさんの思い出を胸に、経験を生かしながら素敵な雑誌や書籍を手がけられることでしょう。
▼農文協の出版物は、こちらから購入できます。
田舎の本屋さん
おわりに
カブライダーでありながら、農文協について知らなかった私は、にわかカブファンだったかもしれません。
現地の一時情報をコツコツと集め、独自の取材ネットワークを作り続ける農文協! すごい世界を垣間見ることができました。
丈夫で小回りがきき、農家さんにも愛用者が多いカブは、普及活動でも大活躍。
カブは、見ず知らずの土地を駆ける若者と、農家さん、そして読者をつなぐ役割も担っていると言えそうです。